ボスニア代表を悲願のW杯初出場に導いたオシムの献身

しんぶん赤旗にも木村元彦さんのインタビュー記事が掲載されていましたが、ボスニア・ヘルツェゴビナ代表がW杯初出場を決めるにあたり、オシム氏の献身がありました。

 

日本代表が、コートジボワールに逆転で負けました。ドログバの存在感の大きさに感動しながらテレビ観戦をしました。国内で内戦で大変な時期にドログバの果たした役割を聞くと、たかがサッカーですが、その力にびっくりします。

 

社会を変える力を持っています。

確かに金儲けにまみれた一面もありますが、スポーツのすばらしさが、世界の平和を作り出すのではないか、貧困をなくす力になるのではないかと思います。

 

私は日の丸が大嫌いなので、日本戦をみるのが少しいやです。

ワールドカップですから日本の試合だけではなく、すべてのチームに関心をもって応援をお願いしたいものです。

 

 

http://www.footballchannel.jp/2014/01/15/post21282/

 

人工的に分割された多民族国家の悲運

 2011年4月にこの国はFIFAの加盟資格を取り消され、サッカーにおけるすべてのカテゴリーで国際大会への出場を停止させられていた。理由は同国サッカー協会が抱える異常な事態を解決できずにいたからである。当時、ボスニア協会には3人の会長が存在していた。ボスニア紛争時に対立していたムスリムクロアチアセルビアの3民族のそれぞれの代表である。

 血で血を洗う殺し合いをさせられたボスニア紛争が1995年12月のデイトン合意によって終結させられて以降、政治の世界ではこの3つの民族が交代で国家元首を務めることになっていたが、サッカー界も同様のシステムを取り入れたのである。

 この「輪番制」制度は一見公平な棲み分けが成されているかのように見えるが、実際は各民族の民族主義者の権力を温存させ、国としての統合を先送りしているに過ぎなかった。根深い民族対立を前提に3民族の会長はそれぞれが自民族の権益のみを考えて運営するために腐敗が横行し、経理担当者が逮捕されるなどの大きな問題となっていた。

 一国家一競技団体、そして一会長を原則とするFIFAUEFAは事態を重く見て、これより5ヶ月前に会長の一元化をボスニア協会に勧告していた。しかし、当時のボスニア協会の幹部たちは他民族への不信感と既得権益の保持のために会長を1人にする規約の改定には賛同せず、その結果、加盟資格剥奪という、まさにサッカーを取り上げられる究極のペナルティを課されたのである。

FIFAの制裁に立ち上がったオシム

 窮地を救ったのがオシムだった。ここに至り、FIFAブラッターUEFAプラティニの両会長は、もはや収拾できるのはオシムだけであると確信し、是正機関である「正常化委員会」の立ち上げと、その委員長に就くことをこのカリスマに要請してきた。政治的なアクションを取ることを何より嫌っていたオシムだったが、このミッションについては即答に近い形で引き受けた。

 その理由は何であったのか?

 問いに対する答えは明解だった。「このままボスニアがサッカーを失ってしまったら、民族融和の最後のチャンスも失くすことになる」と言ったのだ。かつて旧ユーゴ最後の代表監督時代、多民族で構成した代表チームのサッカーで祖国崩壊を押しとどめようとしたことを「まるで自分はドンキホーテだった」と自嘲気味に呟いていた男が、それでもまだサッカーの力を信じて諦めていなかった。

 正常化委員会が結成されると、オシム脳梗塞の後遺症の残る不自由な身体で3民族それぞれの協会や政治家を説得して回った。「私たちはお互いに会って話し合わないといけない。必要であればセルビア系の町にもクロアチア系の町にも行く」というのが、この当時のオシムの発言である。

功を奏した“ボスニア行脚”

 今ではムスリムの町となったサラエボでは、このような言質に「ドディク(セルビア人共和国大統領=自分はボスニアセルビア人ではなくてただのセルビア人だと度々発言したことが問題になった政治家)のような人物に会いに行くのは理解できない」と反発するメディアもいたが、信念を貫いた。

 オシムを筆頭にバイエビッチ、ハジベギッチらボスニアサッカー史に残る歴戦のOB選手たちで構成された正常化委員会のボスニア行脚は奏効し、2011年5月26日に開かれたサッカー協会の総会では会長一元化のための規約改定が満場一致で決議された。国際標準へのスムーズな移行が成され、これにより、ボスニアは国際舞台に再び復帰することができたのである。

 この時期はちょうどユーロ2012の予選の最中だった。プレーオフにまで進出するも結果的にはポルトガルに屈してポーランドウクライナには行く事はできなかったが、チームとしての熟成期に入りつつあった。会長が1人になったことで不安定だった現場の監督、選手たちのモチベーションが上がったことは言うまでもない。

 ボスニアがワールドカップ出場を決めた試合=2013年10月15日のアウェイ、リトアニア戦のツアーに参加した。これはボスニア協会がチャーターしたカウナスまでの直行便に代表チームとメディアとサポーターがすべて一緒に便乗して敵地に向かうという他国では想像できないようなアットホームな応援ツアーだった。……(続きは『サッカー批評issue66』にて、お楽しみ下さい。)